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インフレ時代における家計金融資産の「構造転換」と課題|レポート|モニクル総研

作成者: 木村 敬子|2026.03.23

はじめに

長らく続いたデフレと低金利の時代が終わり、日本経済はインフレと金利のある世界へと完全に移行した。消費者物価指数のトレンドや、市中金利の動向といった定量面だけではなく、下記のグーグルトレンドで見る検索トレンドが示すように、世の中の「インフレ」に対する関心度も右肩上がりであり、日々のニュースの中でも「インフレ」という言葉を聞く機会が非常に増えている。まさに現在は「インフレ」時代ということができるだろう。

インフレが突きつける「現状維持バイアス」のリスク

まず、インフレ環境下において家計がどのような資産管理行動をとるべきか、教科書的な原則を確認しておきたい。日本では長らくデフレに苦しめられてきたが、そのデフレ下においては「現金」の価値は相対的に上昇するため、資産を現預金で保有し続けることがリスクを負わずに購買力を高める合理的な選択であった。しかし、インフレ下ではそのロジックは逆転する。インフレとはモノやサービスの価格が上昇することであり、その裏返しとして現金の価値は相対的に下がることである。インフレ下においては、現預金を保有し続けることは、実質的な資産価値の減少、すなわち「見えない損失」を確定させているに等しい。

企業経営の視点で見れば、インフレはコストアップ要因であると同時に、適切な価格転嫁を通じて売上高と利益額を伸長させる機会ともなり得る。筆者が以前分析したラグジュアリーブランド企業などは、インフレを追い風に強力なプライシングパワーを発揮し、業績と株価を上昇させてきた。このように、インフレ期には企業の株式価値(株価)は、名目経済の拡大に伴って上昇する傾向がある。したがって、家計がインフレから資産を守るためには、現預金の一部を、インフレと連動して価値が上昇しやすい株式などの証券や不動産、金といった実物資産へと投資を通じて配分を変更する必要がある。これは「投資=儲けるためのギャンブル」ではなく、「投資=資産の防衛策」というパラダイムシフトを意味する。

日本の家計金融資産ポートフォリオの脆弱性:欧米との比較

しかしながら、日本の家計金融資産の現状を見ると、このパラダイムシフトへの対応は遅れていたと言わざるを得ない。日米欧の家計金融資産構成を比較すると、日本の特異性が際立つ。米国では債券・株式・投資信託等のリスク資産が家計金融資産の6割近くを占め、ユーロ圏でも4割近くを占めるのに対し、日本では依然として現預金が5割超を占めている。

この「現預金偏重」のポートフォリオは、過去30年続いた、現金の価値が相対的に上がるデフレ下では正しい選択だった。しかし、インフレ下においては、資産価値を目減りさせる間違った選択となる。欧米の家計が、インフレによる生活コスト上昇を、保有資産の価格上昇(資産効果)によってある程度相殺できているのに対し、日本の家計、その中でも特に投資を行っていない層は、物価上昇の痛みを一方的に受けるだけの構造になっている。

2025年第3四半期 資金循環統計に見る「変化の胎動」

では、日本の家計は全く変わっていないのだろうか。直近のデータからは、静かながらも確実な「構造変化」の兆しが見て取れる。日本銀行が公表した2025年第3四半期(7-9月)の資金循環統計(速報)(1)をもとに、前年同期(2024年第3四半期)との比較分析を行いたい。

(1)家計金融資産残高の推移:過去最高水準への到達

2025年9月末時点の家計金融資産残高は2,286兆円となり、前年同期の2,180兆円から約106兆円(+4.9%)増加した。この増加率は、日本の2025年度の物価上昇率が3.2%(2)であったことと比較しても、十分大きな数字であると言える。では、この増加はどこからもたらされているのだろうか。下記の実数やグラフが示すように、大半が株式、投資信託といったリスク資産の増加である。リスク資産が全体に占める割合は2割に満たないが、そのリスク資産が大幅に増加したことによって全体の資産増がもたらされたのである。

【各金融資産の前年同期比の動向】

  • 現金・預金: 2024年9月末の1,116兆円から、2025年9月末には1,122兆円へと微増(+0.5%)に留まった。依然として絶対額は大きいものの、全体の伸び率と比較するとその増加は停滞しており、家計金融資産全体に占めるシェアは低下傾向にある。

  • 債務証券(公社債):2024年9月末の30兆円から、2025年9月末には33兆円へと約3兆円(+10.5%)へ堅調に伸びた。

  • 投資信託受益証券: 2024年9月末の126兆円から、2025年9月末には152兆円へと約26.5兆円(+21.1%)の大幅増となった。

  • 株式等: 2024年9月末の266兆円から、2025年9月末には317兆円へと約51.3兆円(+19.3%)の急増を見せた。

  • 対外証券投資(外国証券):2024年9月末の36兆円から、2025年9月末には45兆円へと約8.2兆円(+22.5%)と急増した。



(2)変動要因の分解:「取引要因」と「価格変動要因」

次に、特にリスク資産である公社債、株式等、投資信託についてその増加した要因を「新たにお金を投じた額(取引要因)」と「持っている資産の価格が変動した額(価格変動要因)」に分解してみよう。下記のグラフが示すように、リスク資産の増加については過去1年は価格変動要因が9割弱だった。つまり、家計金融資産の増加は新規に現預金を投資に回したことではなく、大半が保有している資産の価格上昇によってもたらされたのである。寄与度の高かった「価格変動要因」の内訳は、投資信託が16.6兆円、株式は55兆円の増加、公社債は0.5兆円の減少となり、株高が牽引したことが分かる。

一方、リスク資産増加のうち取引要因による増加額9.9兆円の内訳は、投資信託が9.9兆円、公社債が3.7兆円、一方株式は3.7兆円の減少であった。つまり、家計は株式への投資は減らしていたが、投資信託や公社債をメインに新たな投資を増やしていた。この結果に対しては、新NISA、特につみたて投資枠の貢献が大きいと思われる。

新NISAのつみたて投資枠による買付額は下図のように、毎四半期右肩上がりに増加している。NISAに関わる最新のデータが2025年6月末であるため、その期間に合わせてNISAのデータと資金循環統計のデータを見てみると、例えば2025年1-6月の半年において、NISAつみたて枠の買付額は2.3兆円となっており、買付対象は投資信託(インデックス投信、アクティブ投信、ETF)である。一方、資金循環統計ではこの期間の投資信託の取引要因による増加額は5.8兆円であったことから、投資信託の取引要因の半分近くがNISAのつみたて投資枠による貢献だった可能性が高い。

NISAについては、下図が示すように2024年1月の新NISA導入後、堅調に口座の普及率は増加している。特に20~50代の普及率が高く、30代については人口の3割近くがNISA口座を保有している。一方、貯蓄を含めた金融資産額の多い60代以上についてはNISA普及率は低い。金額ベースで見ても、NISA口座内での2025年1~6月の累計買付額は60代以上が60歳未満の半分にも満たない。もちろん、NISA自体が長期的な資産形成のために設計されているものであるため、この状態はNISA制度の観点からは健全な状態であるとも言える。


【現役世代(10-50代)と退職世代(60代以上)のNISA買付額】(2025年1~6月累計)

(単位:兆円)

成長投資枠

つみたて投資枠

合計

10~50代

4.07

2.04

6.11

60代以上

2.30

0.34

2.64

出所:日本証券業協会の「NISA口座の開設・利用状況(2025年6月末)」のデータを元に筆者作成

一方、これらのデータは、貯蓄から投資の流れは、NISA導入の貢献もあって現役世代においては特に積立による投信への投資を中心とした分散投資(資産、時間ともに)で実現されつつあるが、退職世代においては現預金を中心としたポートフォリオが大きく変わっていないことを示唆しているのではないだろうか。

家計金融資産の現状とインフレ時代における課題と提言

これまでの内容をまとめると、2025年第3四半期は①前年に比べると家計金融資産は増加、特にリスク資産の増加の貢献が大きい、②リスク資産増加の主要因は保有資産の価格変動要素が大きく、取引要因は小さい、③取引要因の中では、投信、公社債への新規投資が増えており、NISAの貢献が高い、④年代別では60歳未満の現役世代での貯蓄から投資への流れはNISAによって定着しているが、60歳以上の退職世代での現預金から投資への流れは停滞している可能性がある、となる。これまでのデータが示すように、日本の家計は少しずつではあるがインフレ適応へと舵を切り始めており、実際に資産価格の上昇による家計金融資産全体の増加も見られる。しかし、依然として1,122兆円もの現預金が眠っている事実は、変化がまだ60歳未満の現役世代の一部の層に留まっていること、特に退職世代の資産がインフレ防衛には不十分であることを示している。家計金融資産がインフレ防衛に不十分であることは、下記のデータからも見て取ることができる。下図は、日本の家計金融資産残高を各国通貨ベースで換算し、2024年9月末と2025年9月末の残高の変化率を比較したものである。本レポート内で触れたように、円建ての残高は前年比+4.9%増加していた。ところが、これを円以外の通貨や実物資産の観点から見ると状況が一変する。ドル建てでは+1.8%、ユーロ建てでは-3.4%、スイスフラン建てだと-4.1%となり、円建てと比較するとパフォーマンスが悪化している。特に、ユーロやスイスフランで見るとむしろ目減りしていることになる。さらに、インフレ下で相対的に価値が上がるとされる実物資産の代表である金(ゴールド)を通貨と見立てると、円の金に対する購買力は前年比で-30.5%も目減りしている。インフレ下においては、単一通貨で現金を持つことこそが、リスクであるということの証左である。

【各国通貨ベースでの日本の家計金融資産残高の変化】

日本の家計金融資産残高

2024/9

2025/9

前年比

円建て(兆円)

2,141

2,245

4.9%

ドル建て(兆ドル)

14.9

15.2

1.8%

ユーロ建て(兆ユーロ)

13.4

12.9

-3.4%

スイスフラン建て(兆スイスフラン)

12.6

12.1

-4.1%

金建て(トロイオンス)

5,658,730

3,933,652

-30.5%

出所:日銀「2025年第3四半期の資金循環(速報)」やその他のデータを元に筆者作成


インフレ時代における家計金融資産の課題は、まだ投資に踏み出せていない層、あるいは現預金比率が高すぎる層に対して、いかに行動変容を促すかである。そのために必要なのは、制度的な後押しとより本質的な「金融リテラシー」の向上であろう。新たな制度設計は時間や財源など制約が多く実現可能性は低いかもしれないが、金融リテラシーの向上は今すぐにでも取り組むことができる。上述のように、「インフレ下においては単一通貨で現金を持つことがリスクである」と理解し、それを行動に移すことができるためには、金融リテラシーは必須である。

モニクル総研の泉田良輔も日本の金融教育に関するレポート(3)の中で、日本の金融教育の課題について触れている。「真に金融教育が必要な層として明らかになったのが、現在の30歳代以上だ。30歳代はすでに社会に出ているため、義務教育の学生のように時間を取って学習する機会を一様に確保することが難しい。こうした状況は、2024年に発足したJ-FLECが職域などに派遣されることで解消されていくことが理想である。ただ、現実的に、対面形式のみで講義をしていくことの限界は容易に想像できる。こうした制約条件は、テクノロジーを活用した解決法が重要となり、今後の検討余地があるといえよう。」

J-FLECなどの活動に加えて、期待したい領域が次の2点である。① 金融に関する正しい情報を分かりやすく伝えるメディアの役割、②テクノロジーなどを活用してより簡単に金融知識を学べるソリューションの開発である。

①について、金融領域の情報について生活者がもっとも感じる問題点は「難しい」ということである。確かに金融や資産形成・資産運用、投資に関する情報は書籍やオンラインなどのメディア上にあふれており、情報へのアクセシビリティについては問題がない。一方、難解すぎたり、情報量が多すぎたり、情報が間違っていたりして、生活者が情報にアクセスしたものの正しい情報を選び取って理解する段階になかなか到達できないという問題がある。また、情報の非対称性を悪用した投資詐欺なども横行しており、社会問題となっている。正しい情報を分かりやすく伝える、オーソリティのあるメディアの重要性が以前以上に高まっている。特に、「分かりやすさ」「リーチのしやすさ」と「信頼」「権威」を両立できているメディアはまだ少ない。今後、これらを両立しているメディアの存在がより重要になるだろう。

また、②については、中立的な立場から対面で啓蒙活動を行うJ-FLECの取り組みを補う形で、もっとデジタルやオンライン、AIを活用して、簡単に誰でもどこでも金融や投資について学べるプロダクトやサービスの登場に期待したい。